由緒

津島神社は、創建時の社名は「津島社」でしたが、神仏習合の影響により、ご祭神を「牛頭天王」に改めたことにより江戸時代までは「津島牛頭天王社」となり、明治の神仏分離により「津島神社」に改められましたが、今でも「津島の天王さま」と呼ばれ、全国約3,000社の天王信仰の総本社であります。
 社伝によりますと、欽明天皇元年(540年)に西国対馬より大神がご来臨なられたのが始まりとされ、その後弘仁元年(810年)に神階正一位と日本総社の号を賜り、一条天皇の正暦年間に天王の号を賜りました。
 御鎮座以来、貧富の差なく広く尊崇されておりますが、特にこの地方の勇者「織田信長」「豊臣秀吉」や尾張徳川家は厚く信仰され、社領の寄進や社殿の造営等をなされました。

ご祭神

主神:建速須佐之男命
相殿:大穴牟遅命(大国主命)

ご神徳

備後風土記(蘇民将来逸話)
昔、北の海居られた武塔神が、南の海に妻を探しに出かけた折日が暮くれて宿を探していたとき、その地に蘇民将来・巨丹将来という二人が住んでいた、弟の巨丹将来は裕福であったが宿を断り、兄の蘇民将来は貧しかったが持て成しをした。
後に武塔神は八柱の子を連れての還り道、蘇民将来の為報いようと、蘇民将来と女子二人に「茅の輪を以て腰の上に著けしめよと」教え、その夜三人を残し全ての悪疫を退治した。
残った蘇民将来等に「自分は速須佐能雄能神である、後の世に疫気あらば、『汝蘇民将来の子孫』と云って、茅の輪を腰の上に著けなさい。
そうすれば家人は厄疫から免れることができる。」と言い残した。
この逸話により「疫病・厄難災除け」の神として古くから信仰されてきました。